教育とは何か?

2020/09/04 ブログ
logo

 私は妻と仲が悪い。20年以上別居して15年以上会っていない。とにかく非常識なのだ。結婚して最初に妻が出した食事は腐ったイカ数切れだった。

 妻の高校生までは食事は店屋物で食事、お風呂以外は部屋に閉じ込められて勉強さられたという。大学に入って漸く勉強せずに居られると喜んだそうだ。

 妻の母親の実家は代々医者をやっておりお嬢様育ちの母親は家事が出来ないのであった。兄二人は医学部に進学したものの結核で夭折したという。父親は養子である。

 自由気ままに育った私とは全く違う世界で育った妻とは価値観が違いすぎる。何故離婚してくれないか不思議で仕方ない。

 但し息子2人を立派に育ててくれた事には感謝する。次男は大学8年生だが馬鹿なりに頑張ってはいる。

 私も12月には還暦となる為老後、死亡後の事を考えざるを得ない。死亡保険(葬式代)や80歳までローンがある投資用マンションを息子に残すため公正証書の作成などやるべき事は沢山ある。

 私は健康さえ許ば80歳まで医業を続けたい。クリニックの後継者も探さなければならない。私の師故片山圀昭先生は80までメスを握ると言っておられたが先日82歳でお亡くなりになった。メスを握り続けたかは定かでない。

 私は実は中学3年の2学期まで自宅で勉強したことが無い。そもそも勉強するという発想が無かった。宿題をせずよく廊下に立たされたものだ。親も何も言わなかったのには助かった。

 その代わり卓球には打ち込んだ。1年生で新人戦2位、3年生で県大会3位になった事は今でも誇りだ。ラケットを抱いて寝た程だ。

 卓球が終わり空虚感に襲われた私は勉強という新しい楽しみを得た。成績も面白い程上がりスポーツ感覚で勉強をした。但し高校2年の頃には飽きてしまった。

 順当に勉強を続けていれば九州大学には入学できた筈だが筑波大学に進み本当に良かった。島国根性とは恐ろしく九大出身者は皆自分が世界で一番頭がいいと思っており態度にもあからさまに雰囲気を漂わせる。その点東京大学の先生は周りに優秀な先生が居る事を知っているので謙虚である。

 筑波大学では先進的な医学教育を取り入れており非常に役に立った。医者に成ってからも学生時代の知識で充分対応できた。とは言っても妻と同じく大学は勉強する場所ではないと思っていた私は麻雀とクラブ(野球、ハンドボール)に打ち込み勉強は試験前にノートをコピーするのが主だった。6年生に成り国家試験の勉強を始め、ついでにアメリカ合衆国の試験を受けようと1か月ほど部屋にこもりきりで勉強した際は英語の夢を見た。

 妻とは慈恵医大の整形外科研修医で同期であった。婿探しに来たと評判であった。騙されたのが私である。一時期妻の実家がある愛知県で私も勤務医をしたがどうも水が合わない。両親は東京なので病気を機に帰京した。今は姉が母親の面倒を見ているので非常に助かる。まとまった休みには私も温泉に連れて行っている。あと20年無事に仕事を務める事が使命である。